福岡市について
地理的背景
アジアのゲートウェイとしての福岡市
福岡市は、アジアに近いという地理的特性を活かし、経済発展が著しい中国をはじめとした東アジアと国内各地を結ぶゲートウェイとして、2000年以上前から、現在に続くまで、各時代において重要な役割を果たしてきました。
海・山・川と自然環境に恵まれた福岡市は、食物が得やすく住みやすい土地であったため、早くから人々が定着し発達。そして古くから大陸文化の受入窓口となっていた本市は、商業都市としても栄えていきました。
教科書に登場する国宝「金印」が実際に見れる!?
①縄文時代~弥生時代
福岡市は朝鮮半島や中国大陸に近いという立地に恵まれ、古くから大陸文化の受入窓口としての機能を果たしてきました。志賀島(福岡市東区)で発見された「金印」には、「漢委奴国王」と刻まれており、1 世紀ごろにはすでに大陸との交流があったことを物語っています。
現在、「金印」は福岡市博物館に所蔵されており、見学することができます。
二つの重要な歴史が重なったパワースポット!?
②古代~近世
大陸との交流が盛んであったことから、外来文化伝来の窓口として、古くから政治的にも重要な拠点とみなされてきました。7 世紀から11 世紀にかけてはアジアの人々をもてなした迎賓館である「鴻臚館(こうろかん)」が交流拠点となり、その後、中世期には海外の商人が多く住む日本を代表する国際貿易都市に発展しました。
鴻臚館があった同じ場所(現在の福岡市中央区)に、その1000年以上も後の江戸時代になり、福岡藩初代藩主・黒田長政によって、福岡城が築かれました。
二つの異なる時代における重要な拠点として選ばれたこの場所は、全国的にも大変珍しく、国の重要文化財の二重史跡として登録されています(鴻臚館跡・福岡城跡の二つ)。
「福岡」の誕生について
1587年に九州を平定した豊臣秀吉が博多の町を再興し、「太閤町割(たいこうまちわり)」と呼ばれる都市計画を実施し、現在の「博多」の原型を作りました。さらに博多は自由都市「楽市」に指定されたことにより、堺(大阪府)と並ぶ商業都市として発展していきます。
江戸時代になって武士の町「福岡」が生まれ、商人の町・博多は伝統工芸や芸どころとして、城下町・福岡は武士の文化を伝える町として、福岡市は二つの特性を持った都市として発展しました。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦において、福岡藩初代藩主・黒田長政は、徳川家康率いる東軍の勝利に貢献したとして、筑前国(現在の福岡県北西部)を与えられました。
1601年から7年の歳月をかけて、現在の福岡市中央区にお城を築き、完成した城は、黒田家ゆかりの地である「備前国邑久郡福岡」(現在の岡山県瀬戸内市)の名前を取って福岡城と名付けられ、福岡県の由来となっています。
国際貿易港・博多港が完成
③近現代
1883年、明治政府によって博多港は特別貿易港に指定され、国際貿易港として、新たなスタートをきりました。このことにより、博多港はさらに貿易が活発化するとともに、戦時中には、大陸に通じる軍需拠点として注目され、行政及び経済統制の中心として重要な位置を占める都市となっていきました。
博多港は、開港後100年以上を経った現在でも、アジア・世界をつなぐ国際港として、ますます発展しています。
文化的背景
福岡市には、博多の三大祭り(どんたく、博多祇園山笠、放生会)や、伝統芸能・伝統文化などが、長きに渡り現在にも引き継がれています。
博多マイスター事業
福岡市では、熟練した技能職者を「博多マイスター」として認定し、その貴重な技能を広く伝える活動と、後継者育成のための技能伝承活動を積極的に支援しています。
修学旅行のプログラムの一環としても、ぜひご活用ください。
https://www.city.fukuoka.lg.jp/keizai/c-syogyo/business/Index.html
福岡市がどんたく一色になる2日間
①博多どんたく(5月)
博多どんたくは、オランダ語のZondag(ゾンターク、休日という意味)がその語源と言われています。1179年に始まったとされる「松ばやし」をその起源とし、おおよそ830年余り続く伝統行事です。
毎年5月3日・4日の2日間に渡って開催され、参加者が思い思いの衣装で「しゃもじ」を叩いて町を練り歩くパレードや、市内各所に設置される演舞台で踊りを披露するなど、町中がどんたく一色になります。
※2019年には、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
なぜ、「しゃもじ」を持つの?
どんたく隊の見事な祭囃子の音色に、夕飯の支度をしていた、ごりょんさん(ご主人が山笠に参加している奥さん)が浮かれて、手に持っていた「しゃもじ」を叩いて、どんたく隊に加わったことから、持つようになったと言われています。※諸説あり
博多っ子の血が騒ぐ!?
②博多祇園山笠(7月)
鎌倉時代、1241年に博多で疫病が流行した際、承天寺の開祖・聖一国師が、町民が担いた施餓鬼棚(せがきだな)にのって、祈祷水(きとうすい)を撒きながら町を清めてまわり、疫病退散を祈願してまわったことが発祥とされています。※諸説あり
毎年7月1日~15日の期間、飾り山笠が町のいたるところに展示されます。クライマックスを迎える追い山笠(最終日)は、早朝の4時59分から開始。
780年以上、現在でも続く伝統行事で、国の重要無形民俗文化財として指定されています。
博多祇園山笠が奉納される、博多の総鎮守・櫛田神社では、飾り山笠が一年を通してみることができます。
博多に秋をつげるお祭り
③放生会(9月)
筥崎宮・放生会は「万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝する」お祭りで、千年以上続く神事です。毎年9月12日~18日の七日七夜にわたり様々な神事や数多くの神賑わい行事が執り行われ、期間中は参道一帯に、お化け屋敷をはじめ射的やヨーヨー釣り、新ショウガの販売など数百軒の露店が立ち並ぶ、九州随一の秋祭りです。
博多の伝統芸能について
①博多独楽
江戸時代、木台に鉄芯を打ち込んだ心棒を持つ博多独楽が作られ、日本各地に伝わる独楽芸の発祥といわれています。
博多独楽は博多に伝わる伝統芸能として、1958に福岡県無形文化財に指定されました。
②博多仁和加(にわか)
「ぼてかずら」に「にわか面」と言われる半面を着け、博多弁を使い、会話の最後に面白いオチをつけて、話をまとめるもので、題材として世相を反映させたユーモアな即興笑劇です。
博多仁和加の起源については、諸説あり、黒田如水・長政父子が播磨国一宮・伊和大明神の「悪口祭」を移入し、藩政に資する手立てとしたことに始まるとする説や寛永年間に藩侯黒田忠之公の頃に始まったとする説などがあります。
福岡市指定無形民俗文化財として、長い歴史と伝統を持つ郷土芸能です。
博多の食文化については、こちら
歴史的背景
「日本初」が残る福岡市
福岡市は、交流・暮らしに適した立地を活かし、2000 年以上前の弥生時代からヒト、モノ、情報が集まる都市が形成されました。また、国際交流拠点であった博多湾を中心に、海や陸を通じた各地とのつながりのなかで発展し、豊かな歴史文化を形成、現在の福岡市へと発展を続けてきました。「博多湾」という天然の良港にめぐまれていたこともあり、古くから海を介して大陸や半島と交流してきたことで、各時代における最先端の技術や文化が続々とやってきました。
はじめての「米作り」
日本列島で最も古い時期(弥生時代)の水稲耕作が確認された「板付遺跡」(福岡市博多区)は、米を主食とする日本文化の原点ともいえる農村跡です。
稲作が普及して生産力が上がり、食糧の備蓄が生じると、集落形態や集団関係、さらにはそれらを包括する社会そのものに変化を与えました。その結果、板付遺跡や那珂遺跡(福岡市博多区)には環濠で囲われた集落が、また吉武遺跡群(福岡市西区)には青銅製の武器・鏡や装身具など豪華な副葬品とともに葬られる有力者の墓である「特定集団墓」が他の地域に先がけて出現しました。特定集団の成長やこれを中心とする地域社会の広域的なまとまりは、中国の歴史書に「国」として記述されます。「奴国」の一部であり日本史上最古級の都市ともいわれる比恵・那珂遺跡群は、当時の最先端テクノロジーであった青銅器の生産などを行い、国内外との活発な交流を通して繁栄しました。
はじめての「唐物」
古代になると、博多湾に面して設けられた鴻臚館が日本の玄関口となります。鴻臚館は、外国使節の饗応(きょうおう:食事やお酒をだしてもてなすこと)や、使節が滞在のための施設で、最先端の外国文化が日本でいち早く持ちこまれ、都に海外の文化や唐物を伝える窓口でもありました。
この遺跡からは、イスラムに起源をもつガラスや陶器などが出土しており、当時の幅広い諸外国との交流がうかがえます。このような対外交流の形は、鴻臚館衰退後に貿易都市として発展する博多に受け継がれていきます。
はじめての「国際都市」
鴻臚館の衰退以降、貿易都市として発展した中世博多は商人たちが行き交い、中国風の屋根瓦で飾られた建物が建ち並び、独特の景観を作り出していたと言われています。日本最初の禅道場といわれる聖福寺(しょうふくじ)が僧・栄西(ようさい)により開かれ、禅宗に伴って様々な文化が伝えられました。喫茶の風習や、うどん・そば・饅頭といった粉食文化も、その後の日本の食文化に大きな影響を与えています。盛んな諸外国との交流によって築かれた、国際色豊かな中世博多は、日本初の「国際都市」といえるでしょう。
「博多旧市街プロジェクト」について
福岡市では、中世における日本最大の貿易港湾都市・博多の中心として栄えた「博多旧市街(オールドタウン)」には、中世に由来する歴史・伝統・文化が数多く伝わっています。歴史ある寺社が連なる静寂なまちなみや、活気あふれる商店街の散策、博多の伝統工芸や伝統芸能とのふれあい、祭り好きで知られる博多っ子の暮らしや文化を感じられる体験など、福岡の修学旅行がより一層深まるエリアです。
国際貿易都市に成長した博多は、アジアの人々や唐物が行き交う、異国情緒あふれる憧れの都市でもありました。商人たちの経済活動の活発化にともない、商業関係者や留学僧、文化人や職人などの多様な人々が集まり、禅宗文化、博多織、酒造業、博多祇園山笠、博多松ばやしなど、現在まで伝えられる文化が生み出されていきました。
福岡の文化的背景についてはこちら
江戸時代
江戸時代には、福崎(現在の福岡市中央区)に福岡藩初代藩主・黒田長政により、福岡城が築城されます。この地が選ばれた理由は、博多湾岸にあり、かつ国際貿易都市「博多」に接し、海上交通に便利な立地であったためといわれています。武士や商人・職人が移り住んだ新たな城下町「福岡」は、商人の町「博多」と並ぶ都市となり、福岡藩の政治経済の中心として栄えます。福岡・博多では庶民の娯楽でもあった祭りや行事がにぎやかにとりおこなわれたほか、歌舞伎や相撲、芝居でにぎわうなど都市文化が大いに花開きました。
福岡城の紹介
福岡・博多2000年のまちのにぎわい
博多湾を臨む本市には、多様な目的や背景をもった人々が集まり、古くから活発な経済活動が行われてきました。およそ2000年前の「奴国」以降、中世の国際貿易都市「博多」、江戸時代の城下町「福岡」、そして、現在、160万人以上の人口を擁する「福岡市」に至るまで、活気ある都市として成長を続けています。
福岡市の今
九州・西日本の拠点として、中央政府の機関、大企業の支店、金融・サービス業が集まることにより発展し、国連機関も開設されるなど、国際交流も積極的に行なわれています。
また九州大学をはじめとし、多くの大学・専門学校等が立地していることから、若い世代が多く、現在でも年々人口が増加しており、活気ある街として、日々成長を続けています。
Fukuoka Facts「福岡なら“何にでもなれる”!?」
福岡市内には、福岡空港、会議施設、市街地などが半径2.5km圏内に位置し、さらに都心部に神社・仏閣や海浜リゾート、最先端のショッピング施設などがコンパクトにまとまっていることから、便利さだけでなく、日本の伝統と新しさが共存する魅力あふれる都市として発展しています。イギリスのライフスタイル誌『Monocle』の「世界で一番住みやすい都市」に毎年上位にランクインするなど、国内外からの注目も高まっています。
Fukuoka Facts「世界の中の福岡」
福岡での修学旅行を通し、仲間との学び・地域と触れ合いなど、将来の進路を考えるきっかけ作りとなるよう、様々な体験学習プログラムをご紹介しておりますので、ぜひご活用ください。